2019/1/6

 

 実家に帰省してくそヒモ生活をしていたが終了。

 

 フラットに死にたい。なんというか、自分が嫌いだからとか、何か嫌なものが、気分があって死にたい訳じゃなくて、ただ「久し振りにあの本読みたいなぁ」とかふと「コンビニのアイス食べたいなぁ」とかいう感情と同列にふと「死にたいなぁ」と思う。

 

 全く成長していないことに、虚無に襲われている。こんな人生辞めたいんですが。駄目?そう。

 

 今心の中は無なので何も書くことは無い。おやすみなさい。

英語と現国(+勉強電話のお誘いの話)

2018/12/30

 

 林修による2日間の特進の授業おしまい。林修が直々に採点する答案で「やってはいけないこと」をバリバリやってて自分の頭の悪さに辟易した、んだけど英語と現国は同じ解き方ができるのではないか、ということにようやく気が付いた。英語の読解とか要約とか。

 

 英語はディスコースマーカーとか論理の展開とかに結構印を付けて解いていくのだが、その時ってやっぱり考えていることは現国と特に何も変わらなくて。論説とかなら「筆者の普通とは違う主張」であり、小説なら「心情が変化する場面においての状況やその感情」であり。前半は英語で、後半は現国で教師に言われたこと。具体例は何を言いたいがために使われているのか。問われている傍線部はそもそもなんと書いてあるのか。共通していることをふと感覚で認識出来た。

 

 傍線部の分析、というものを林修はひたすらに強調してくる。出来ないと言っている奴はこれをしていないのだ、と。「どういうことか」という聞き方なら「解答=傍線部」でなければならないし、「なぜか」という聞き方なら「解答→傍線部」という論理構造でなければならない。その為にはまず傍線部の内容をきちんと理解した上でどの部分を使えば良いのかを判断すれば良い、とするのが林修の解法。システム化されている、コンディションに依らず解くことが出来る解き方。

 

 僕は現国は得意だった。読むのはそれなりに早かったし、一読してどこに何が書いてあるのか、などということは基本的に全て頭に入っている。なので問題を見ればおおよそどこを使えば良いのか、とかどこに書いてあるのか、ということが分かっていたし、それで結果が出せていたから何も変えなかった。本文中に書き込みなど滅多にせず、偶に注に気が付かないため注釈のついている言葉に☆をつけておくくらい。

 

 それで、前センターレベル模試を解いても1問ミスで抑えたし、それでいいと思っていた。

 

 でも、次にセンターレベル模試を解いたら現国が70点を切る悲惨さで、東大特進の宿題なんかボロボロだった。

 

 けれど僕は、「自分が優秀ではない生徒である」ことを認めたくないがために、解き方を見直しもせず、復習も何ひとつとしてしてこなかった。だって面倒だし、そんなこと自分を傷つける行為じゃん。やりたくないに決まってるよね、と。

 

 今回も、まともに予習もせず突っ込んで行って、見事にゴミのような答案を書き上げた。

 

 そして今回の授業。ハタ、と気がついた。

 

 毎授業で林修の書き込みの入った本文が配られるのだが、どうにも英語の長文を読む時と似たようなことをしているのだ、と。しかしながら、と入っていれば当然逆の内容が入るし、そのため、やだから、などとあれば当然ながら因果関係が上から下に流れている。

 

 ここでは僕の汚いところも全て出そうと努力しているから述べておくが、現国ごときで書込みをするのは非常にダサい、カッコよくない行為だと今までずっと思ってきた。だって母国語じゃん。読めば分かるのになんで書き込まないと分からないの?愚かすぎないか?という思いと共に。それまでそのスタンスで正解を導けていたが故に。

 

 そしてその思いは今もある。接続詞を四角で囲んでみる、などといった行為はまるで自分が日本語もまともに読めないし扱えないような底辺の人間であることを主張している行為であるかのように思える。

 

 けれど、英語は平気な顔でそうやって解いているのに、何故現国では同じ解き方で解けるのに解かないのか、と漸く自問出来た。

 

 必要なことは全て同じ。本文中の流れを理解して、メインに据えられたテーマを理解して、傍線部を正確に解釈した後、必要な部分を本文中から抜き取る。自分の想像力など入り込む余地のない、誰がやっても同じ結果になる行為。

 

 林修の説明を聞いて、「そんな文あったっけ」みたいな思いを数回抱いた。つまり、本文を読めてすらいないわけだ。読書量も大幅に減り、読むとすればラノベばかり、時々Newton。そんな人間が日本語の文章を未だに読めるわけがないのだ。

 

 

 でもそれはそれとして、出来ない自分は情けないししょぼいしダサいしで身を投げたくなった。自分が出来ないことを認められないのは、無駄に凝り固まった高いプライドと自分は万能であるというお門違いな優越感。あと、嫌な事をしたくないという我儘のせいだと思う。

 

 今、非常に重要な岐路に立っている気がする。大学に現役合格できるか、否か。それがすなわち、今からどんな風に生きていけるのか、ということに繋がってくる。

 

 今僕は努力が出来ない。勉強をすることが出来ない。集中することが出来ない。本当にイライラする。そんな自分にイライラする。腹が立つ。

 

 音楽を聴いていたらその音楽が勝手に頭の中で流れ始めて止まらない。意識もそっちに向く。

 

 かといって雨の音やホワイトノイズを聞いても何にもならない。無いなら無いで雑音が聞こえて気が散るし、あったらあったで気が散る。

 

 色々と、この冬休みで変えていかなきゃいけないと思っている。

 

 

 ところで、現国と英語の話は本当に思っています。如何でしょうか、一考の価値はあると思います。

 

 あと、勉強する時に会話も何も無いけれどただ電話を繋ぐことに対する有効性を認めても良いのではないか、という思いが出てきています。こちらは相手がいないと出来ないので、やってくれませんかね。(話は本当にしないので仲の良し悪しは関係ないかな、と。むしろなんでこの人と繋がってるんだ、くらいの人の方が効果はあったりするのか?)僕じゃなくても、やってみた感想とかお聞きしたいです。でもこれ僕が勉強に集中するために考えた事なのでやっぱり自分でもやりたい。

2018/12/22

 

 通知表を見せたら遅刻16でたいへん怒られた。16/81は思っていたより多かったけれど進級はできるし問題ないだろ、とか思ってたけど世間一般では有り得ないと言われ、成績も良くなかったしなんか死ぬほど怒られた。しかも朝は下北沢の駅のホームで寝てたって言ったらチンピラとか言われた。は?正直なところ意味がわからなさすぎる。いや、素行としてはゴミなのは重々自覚しているけれど、は?舐めすぎでしょ。

 

 まぁ母親の感覚と同級生に慣れてしまった僕の感覚が明らかに差異があって尚且つ家では母親は正しいらしいのでまぁ僕が悪いと。遅刻ってそんなに悪いことなんですか、発言権も何もかも消し飛ばされるほどに重い罪なのですか?遅刻したからなんだよ、残念ながら僕には悪とは到底思えない。悪いことをしたという自覚は無いが、悪い事だということにしないとどうやらこの家で生きていくことは認められないらしい。

 

 だるい。疲れた。全てがどうでも良くなった。なんで生きているんだろう。

 

 デコ責、荷が重い。こんな自分に本当に務まるのだろうか。やると決まったのだから覚悟を決めろ、くそヘタレが。本当に情けないけど、それもまぁどうでもいい。本当に、なんで生きているんだろうなぁ。

 

 どうでもいいや。 

2018/12/20

 

 1週間サボった。これは特に明確な理由もなく、かといって嫌になったわけでもなく、ただ面倒だっただけ。

 

 12/19,20と東大特進英語に行ってきたが、授業のレベルの低さに周りを見下すと共に自分は大丈夫だという安心感を得る。そんな自分が本当に嫌いになった。ただあの時間は本当に無駄が多かった。3時間×2日、実質私が得たものは15分も無かったし交通費が勿体なかったな、というのが正直な感想。

 

 校内模試で割としんどい手応えで、数学を家で見たら解けてしかるべき問題で本当にダメージを受けた。英語は未だに見ていません。本当に無理。これからが憂鬱。

 

 ただ、あのレベルの授業を今受けている人間に負ける、ということが本番で落ちる、ということ。もちろんほかの教科、特に社会では圧倒的に負けているのだからそれはある種そうだろうな、という思いはあるが、本当に彼らに負けると思うと人生を辞めたくなるし絶対に勉強して受かってやるという思いは出てきた。まぁ行動は伴わないのだが。

 

 

 自分が人間の社会に適合出来なさすぎて涙が出てくる。やらなければならないことよりもやりたいことを優先している時点で既にFランではあるしさらにそのやってる事がそれほどやりたいことじゃなくてやらなければならないがやりたくないことから逃げるためだけの行為であるから本当に鬱。

 

 手首にカッターでも刺せば変わるんでしょうかね。それともペーパーナイフ?

2018/12/13

 

 10時過ぎに起床、軽く腹に入れたら母親が帰宅したので昼食、その後パスポートを取りに行く。

 

 帰りに図書館によって勉強しようとしたら睡眠を取ってしまう。自分が嫌になって帰ってきてから鉄壁をリビングでしていたら親との会話に心底腹を立てた(強いて言うなら「それに苛立つこちら」が悪い、という感じの通常の会話なのだが)、もう家で勉強出来ないと感じた。リビングだとカリカリしてしまうし、自分の部屋は遊ぶところだと完全に脳がインストールしている感じがする。

 

  晩を食べて今日はずっとゲームしていた。勉強って何処に行ったんだろうね。しかもそこに罪の意識をもはや持っていない。なんで生きているんだろう。

 

 小説をなにか書きたいなぁと思ったけどもう寝る。明日は担任との面談から鉄緑、当たり障りのないことを言ってサラッと終わらせる。この内面を説明できる気もしないし、あの担任を困らせたくない。

 

 なんで他の人は能天気に、と言ったら失礼だけれど、普通にのうのうと生きていけるんだろう。自分のことがなんで嫌いにならないのだろう。本当に教えて下さい。土下座でもなんでもするから、分かるんだったら教えてよ。ただこちらが気づいていないだけなのかもしれないけれど、こんなに不適合になるなんて誰がわかるんでしょう?駄目な自分に溺れたいだけの現状維持バイアスってオチ。

 

 向上心ってどうしたら生まれるんですかね。何のためなら生きて行ける?

 

 自分にそういったものがなくて、「自分」の核がなくて、とてもしんどい、のか。

 

 消えてしまいたいし、明日なんて来なくていいんですけどね。でも来るんですよね、悲しい事に。

 

 おやすみなさい。休むほど疲れてもいないし、そんな権利もないだろうけれど。そんな罪があってもいいよね。

2018/12/12

 

 13時半に起床、涙を流す。おかしいだろ。三度寝くらいした。

 

 ご飯食べて2時間くらいダラダラと漫画読んだりTwitterしたり。そこからミリシタ走って晩御飯食べてミリシタしてTwitterしてたらもうこんな時間。死にたい。

 

 本当に何もなし。風呂に入って寝る。校内模試勉強なんてしてない。明日パスポートを取りに行くらしく、本当に時間が無い。手首にカッターでも刺してやろうかとも思った。クソ。

 

 今の自分に出来ることはなんなんだろうね。

 

 おやすみなさい。悪夢を見て早い時間にガバッと起きたいです。

2018/12/11

 

 起床失敗、一限に遅刻。英語は平均65.1の75、80点台には載せたかった。授業を聞いていないせいで授業内容の問題全然解けなかったしまぁ仕方ない部分もある。感想みたいな奴の英作文はきっちりかっちり満点取れたしまぁ良し。かな。余った時間は鉄緑

 

 二限の古文はまだ返却されず。最後の問題の解説を聞く限りほとんど掠っておらず辛くなった。虚無に授業を聞く。

 

 三限の自習は弁当食べながらダラダラ遊んでいた。虚無。何も生産しないクソ。この時間もったいなかったなぁ。

 

 四限は数B、満点って150かな。108、3桁行けたし満足とか思っていたら114行かなくて萎えたみたいなことを近くの奴に言われてこちらが萎えた。ミスなけりゃ俺も114越えていたし、みたいな小学生並みの感情が芽生えて死にたくなった。余った時間宿題をするべきだったのにしなかった。カス。

 

 時間が余ったので渋谷のゲに行きおまいまい、死ぬほど下手くそ。この時間なんで宿題しなかった。

 

 文楽、2時間超の睡眠に変換された。勿体ねぇ。昨日結局3時に寝たのがいけなかった。

 

 鉄緑に行き、30分ほど宿題をしてから授業。復テの問題が半分わからず爆死、というかベクトルの計算すらできないことが判明。鉄緑の授業を3時間受けられない多動症小学生だった、なんかイライラして貧乏ゆすりとかしたくなる感じのムズムズ感に襲われ、自分の集中力の続かなさに愕然とした。涙。宿題をして帰宅。

 

 帰ってきて今日は何もしない代わりに早く寝ようと思ったらこの時間。2時間もポケモンをしていた。クソ。なんで寝ないんだよゴミクズがよ。

 

 今日頭に浮かんでいたのは、感情の連鎖を断ち切って感情を1次で止める、ということ。感情という表現が正しいのかはわからないけど。雨が降ってても濡れるだけ、怪我をしても痛いだけ。死んでしまってもただ死ぬだけ。痛いから辛いに矢印が引っ張ってあるから痛みを嫌うし嫌がるし辛いと思うのであって、痛みを痛みとして認識し、そこでそれに関する情報をシャットすればこの世の中を生きていくのが楽になるんじゃないかな、と。例として転んで擦りむいて大泣きする子供を挙げようとしたけれど、上手く泣くという行為の理由付けができないかなぁと。他のものに自分の辛さをアピールする、助けを求める、とか。あんまり論旨にヒットしてない感じがした。感情の負の連鎖とかも無くなるし、そもそも痛いから辛い、というのが半永久的にずっとあるから痛みが嫌なんだろ。まぁ嫌なことを嫌だと感じるのは人間の本能だから難しいのかもしれないけれど、それを抑えるための人間の理性だろ、と頭の中の会話で発した。

 

 益体もないことを考えている時、自分の頭の中に2人存在していて、そのうちの1人にもう1人が説明する形で妄想しているからなんとなくそんな感じの表現になるのかな。

 

 なにかお題があればそれをもっともらしく語るのはそれなりに得意かな、とも思うんだけどあがり症だから結局人前では出来ない。しかも適当にベラベラ喋るだけだからそれなりの知能があれば直ぐに詭弁だってわかるし、駄目。いいところ、ゼロ。

 

 寝ようと思ったけどこいつを忘れていたから15分ほどで作成した。明日は勉強する。お休みなさい。でもミリシタのイベントも明日の21時まで、結局そっちに逃げちゃうんだろうなぁ。